MAKI 4-1
食卓のテーブルの隅に置いた携帯がヴィーンと、かすかな音を立てた。以前、結城に選んでもらった、鮮やかなメタリックブルーの携帯である。
いまだに、その携帯には、高野と浜口勇次の電話番号しか登録されていない。
許可を求めるように、チラッと高野の顔を見てから、眞希は携帯を手にした。メールを送ってくる相手は、もちろん勇次しかいない。
以前持っていた携帯が、結城に壊されてしまった時、同時に、そこに残っていた、高校の同級生たちの電話番号も消えてしまったが、いま、関わりのない人たちの連絡先を敢えて、保存する気にもなれなかった。
父や母からの電話はたいてい、高野の家の固定電話にかかってきたし、妹はめったに連絡してこない。クリスマスにした、食事の約束もまだ果たせていない。
「勇次からか?」
高野が聞く。高野が勇次の名前を口にするたびに、眞希は複雑な気持ちになる。
別れた恋人の名前を聞くとしたら、こんな気持ちだろうかと思う。
嫉妬ではない。もっと切ないような気持ちである。
傍若無人に振舞ってみせる勇次が、ひどくさびしがり屋なのに、眞希は気づいてしまった。
誘われて、断りきれずに食事などいくと、なかなか帰ろうとは言わすに、ずっと引き止められる。同じ年頃の友人はいないのだろう。眞希との交流を心から楽しんでいるらしかった。もっとも、ずいぶんと横柄な態度であることに変わりはないが。
「うん、明日ディズニーランドに行かないかって……ディズニーランド!?」
最近よく見る、ちょっと困った顔をして高野が微笑んだ。
なにか言いたいことを言えずにいる顔だとわかって、眞希は戸惑う。だが、高野がそのときになれば話してくれるだろうと、それまでは、待っているつもりだった。
たぶん、高野は勇次がやくざの息子だから、眞希が付き合うことを心配しているのだ。その反面、かつてのフィアンセの弟の寂しさを敏感に感じ取っているのかもしれない。
「行くのか?」
「いいの、行ってきても? あ、高野さんも行かない?」
そう聞いてから、眞希は慌てて取り消そうとした。高野が行くはずがないと思ったのだ。
「行こうかな。」
思いがけない返事が返ってきた。
思わず笑顔になった眞希を、高野はまぶしそうに見つめたのだった。
******
「なーーんで、高野がおるんや」
案の定、勇次は不機嫌になった。
好きなくせに、どうも高野の前では素直に自分を出せないようだった。
だが、不機嫌そうな言葉のはしに、どことなく甘さがあることに眞希はとうに気づいていた。
よく見ると、面映いような表情をしている。結城もそれに気づいたらしく、勇次がぐちぐちと言い募っても相手にもしない。
「俺は結城の車に乗せてもらう」
勇次に遠慮したわけでもないだろうに、高野は、結城の運転する車の助手席に乗った。
それには不満がないらしく、勇次は眞希を促して助手席に乗せた。あまり穏やかとはいえない勇次の運転に備えて、眞希はきっちりとシートベルトをはめた。
「あいつら同級生なんやで」
車を発進させたとたん勇次がそう言い出して、眞希は思わず咳き込みそうになった。
「ほんとに?」
「やっぱり知らんかったんや。ぜったい、結城のほうが老けて見えるやろ」
老けてというよりは、どこか達観したようなところが見える、と眞希は思った。自分の意思を押し殺すことに慣れてきた男の姿だ。
だが、それも勇次のためなのだろう。
「お前は高野を見捨てへんやろな」
不意に勇次が言った。
それは質問というより、確認のように聞こえた。ひそかな不安に眉をしかめながら、眞希は頷いた。いつでも、眞希は潔くありたいと思い、そう思い始めたときから、覚悟して生きていた。
それでも、自分が予想もできないようなことがいつも起きるのだ。そうして、その波の中であがいているばかりの眞希には何もできない。
勇次が何を言いたいのか知りたかった。
「勇次、話して」
名前を呼び捨てするようにと言われたのは、ずっと前だった。今はじめて、眞希は同じ距離になるために、勇次の名前を呼んだ。ハンドルを握りながら、勇次が目を見開いた。
「ええやろ。お前には知る権利があるんやろうからな。」
勇次は話し始めた。
******
ディズニーランドの駐車場につくと、高野たちが先に下りて待っていた。結城と高野の間の雰囲気が、どことなく違うのを眞希は敏感に感じ取っていた。
この二人は、車の中で何を話したのだろうか。もしかしたら、自分たちと同じことなのかもしれないと、眞希は思った。
眞希は車のなかで勇次から聞いたことを、頭の中で反芻していた。いきなり話されてのみこむのに時間がかかった。自分の知らないところで回っていく歯車の大きさに唖然とした。けれども、話を聞き終わったときには、今日一日は、何も考えず楽しもうと思った。
勇次のために、であったが。
スピード感のある乗り物が眞希は苦手だったが、勇次が乗りたがるので仕方なく付き合っていた。苦手とはいえ、悲鳴を上げずに平気なふりをすることができる程度には慣れていた。
最後にディズニーランドに来たのは、中学生のときが最後だった。まだ小さかった真美が、わけもわからないくせに、ジェットコースターに乗りたがって泣いたのを思い出した。
中学生のころの真美は、友達と一緒にディズニーランドによく来ていた。きっと、自分とは違って、スピードも速く、高さもある乗り物を好んだのだろうと思うが、実際どうなのか、眞希は知らない。倉木渉は、真美の夫は、真美をディズニーランドに連れて行ってくれるのだろうか?
勇次と、列に並びながら、ふとそんなことを思っている眞希を勇次が軽くにらんだ。
ほかの事を考えているのを見透かされたような気がして、眞希は肩をすくめた。
高野と結城は興味なさそうな顔で、乗り物の前のベンチに座って待っている。何かを話している様子でもない。
「あの二人何しにきたんやろうな」
ジェットコースターから降りながら、正面からの冷たい風でのどを痛めたらしく、勇次がかすれた声を出した。
「さあ、何かを話している風でもないし。」
「案外、こういうのが苦手なんやないんか?」
「かも」
乗り物から降りた二人が、結城と高野を次の乗り物に誘うと、結城はあからさまに嫌そうな顔をした。その顔のまま、勇次に引っ張られていくのを、見守りながら、眞希は今回は遠慮しようと思った。
「高野さんも何か乗りません?」
そういうと、高野が指差したのは観覧車だった。
「ジェットコースター苦手ですか?」
そう聞くと、高野は神妙な顔をして頷いた。
笑いながら眞希は高野と観覧車乗り場に向かった。さりげなく、手をつないだ。
観覧車に二人で乗る機会など二度とないかもしれないと思いながら、乗り込んだ。高くのぼっていくにつれて、眼下に勇次たちの乗ったジェットコースターが見えた。もちろん二人の姿は見えなかったが、柄にもなく、そういう乗り物が苦手そうな結城がどんな顔をしているか想像すると、おかしくなった。
「勇次さんに話聞きました。」
あとで、と思っていたのに、二人きりになったとたんに、口に出してしまった。
そうしてから、眞希は、楽しい雰囲気を壊してしまった、自分の愚かしさをのろった。
「そうか」
高野は短く答えた。
「高野さんも行くんですか?」
「そうなるかもしれない。眞希」
「はい」
「その話はまた後からでもいいか? ちゃんと話したい。」
「はい」
隠していたわけではなくて、きちんと話をする機会を待っていたのだと気づいて眞希はほっとした。
勇次から聞いた話は、浜口組の後継者に関することだった。
「親父が、跡目を継ぐ人間をはっきりさせたがっとんのや」
「……」
「俺やなくて、高野に浜口組をついでもらいたがっとる。そんな顔すんなや。」
不安を露にしていたのだろう。勇次がからかうように笑った。
「俺が継ぐから心配ない。高野は呼び出されるかもしれへんけど、なんも心配せんくてええから。」
勇次の父親、つまり現組長が、なぜ、高野を跡取りにしたがっているのか、勇次は言わなかった。
ただ、俺が継ぐ、と繰り返した。
今まで見たことのない真剣な潔い目をしていた。